ゆかばん脳内散歩

カナダ暮らし写真家の日常と思考録。

恋愛における日本人男性とカナダ人男性の違い③

日本人男性とカナダ人男性の違いシリーズ。

 

 

最後はカナダ人男性の多くは「自分の彼女(嫁)に対する理想を強要しない」こと。

 

 

 

これはおそらく、「日本」と比べてなのでなおさら顕著なのだと思う。

「女性が家庭を守る」という意識がそもそも薄いし、男女関係なくみな平等にという考え方が日本よりもだいぶ浸透しているいるので、「女性だから」という理由で何かを押し付けられたり、無言の圧力をかけられることはない。

 

 

あまりに違うので、わたしがロキオとお付き合いを始めた時は、驚きの連続だった。

小さいころから見てきたものを人は当たり前だと思い込む。その思い込みが彼と付き合いだして一気になくなった。

 

と言うのも、わたしの両親は共働きだったにも関わらず料理はすべて母親がしていた。父は帰ってきてテレビをつけてどかんと座る。ビールも料理も母が運ぶ。そう言えば、洗濯も母がしていた。風呂もたいてい父が一番先に入っていた気がする。わたしはそういう意味では典型的な日本(九州?)の家庭に育ったと思う。

 

 

ロキオと付き合いだして3か月目、アパートを借りて一緒に住み始めた。当時のわたしは料理=女性の仕事という概念がしみついていたので、無意識に食材を買いに行き、帰ったら料理をした。

わたしも働いていたので、その日は疲れていてお味噌汁とあと1品何かおかず(合計2品)を作るのが精一杯だった。

少し申し訳ない気持ちでロキオに出した。

するとロキオは言った。

 

「こんなに美味しそうなごはん作ってくれたの?ありがとう!!」

 

わたしは驚いた。こんなことでそんなに喜んでくれるのかと。

そんなせりふを(少なくともわたしが覚えている限り)父が母に言っているのを聞いたことがない。

 

 

そして彼はぺろりとたいらげた。

「あ~美味しかった!僕がお皿を洗うからね。本当にありがとう!」

 

 

 

こんな場面がいくつもあって、彼と付き合いだしてからわたしの思い込みは一気に覆えされた。

早朝出勤の彼に弁当を作った時も、日本にいたらとても「弁当」としてみなされないような、ごはん+2品みたいな簡素なものだったのだが、ロキオは飛び跳ねて喜んだ。職場で「僕のワイフはこんなものを僕に作ってくれるんだ♪」と毎日自慢していた。

 

料理に限らず家事全般、基本的に対等な役割分担になっている。もちろんどちらかが忙しい時はもう片方が多くやるということはあるけれど、ロキオは料理も洗濯も掃除も食材調達も快く引き受けてくれる。怠けてやりたくないな~という時もあるがそれはわたしもお互い様で、そういう時はふたりでごろごろして、あとで一緒にやったりする。

 

このスタイルが、わたしにとってはとても心地よい。

家事めんどくさ~いとか普通に言う。

だけどロキオは「この女・・・!」」とはならない。

「めんどくさいよね。じゃあ今日は僕がやっとこう」か「わかる~僕もめんどくさい」か「はいはい。じゃあ一緒にやろう」か。だいたいこうなる。

いつも「対等」なのだ。家事は「2人で協力してやるもの」だから。

 

 

加えて日本には「女性の可愛い像」なるものも存在しているように思えていて、そこに反した行動をする女は「だらしない」「彼女にしたくない」「可愛くない」という謎のジャッジを食らう。日本独特の同調圧力は、一時帰国するたびに目の当たりにして正直げんなりする。この間帰った時は街の中にいる20~30代くらいの女性がそろって同じようなファッションとメイクをしていて驚いた。そしてみんな同じくらい細い。

もちろん個性が尊重されるような時代になってかなり変化したなとは思うけれど、やはりそれでもみな無意識的に誰かに決められた「可愛い女」になろうとしている感じは否めない。

 

 

カナダではそもそも何が可愛くてなにが美しいのかという基準がないので(多国籍文化なので統一しようがない)、とにかくその人がその人らしく生きてたらOK!という感じだ。二の腕が太くてもタンクトップ一枚で歩けばいいし、すっぴんでBarに行ったって誰も気にしない。

 

ロキオもわたしに美や可愛さや女性らしさを強要したりはしない。

太っても罵倒されない。

「またぷにぷにがついたね~」と言って笑いながらわたしの腹をつまんでおわり。

わたしがダイエットをすることや美を磨くことに関心があってそれが楽しければわたしが能動的にやればいいだけだし、それらをやらなくてもわたしはわたし!っと思うのならそれでいい。

 

日本にいる時に感じていた、男性の「言わないけど、彼女にはこうであってほしい」みたいな、なんというのか、女性の理想像に自分の彼女を当てはめて常にジャッジされている感じは、彼との関係において完全に無い。

 

 

彼と生活しだして、いろんなことがシンプルになった。

彼から強要される理想像がないから、それに当てはまろうとして苦しむ必要もない。

自分で自分の理想を決めてそれに向かって楽しんでやればいいだけなのだ。

 

 

(わたしと彼の場合はこんな感じだけれど、たまにカナディアン男性の中に「日本人女性は従順で何でもやってくれるから」という勝手な思い込みを持って日本人女性と付き合おうとするやつらもいる。そういう輩はたいていあなたのことを「人」としてではなく「日本人の女」としか見ていないので、万が一出会ったらサッとスルーしてほしい。逆に日本人でも女性を対等に扱える素晴らしい男性は山ほどいるのだ。だからほんとうに、一概には言えない。)

 

 

 

少なくともロキオとわたしや、カナダで円満に関係を営んでいるわたしの周りのカップルたちの共通点は「理想像の押し付け合い」をしていないことだ。

 

 

わたしが彼と一緒に暮らす中での大きな気づきの一つ。

彼女、嫁である前にわたしたちは一人の人間であること。

そして理想を押し付けあって窮屈になるのではなくて、2人で足りないところを補い合いながらバランスをとること。

この大切さを教わった。

 

 

***

日本での当たり前は海外に行くと全然当たり前じゃなかったりして、わたしも未だに多くの発見がある。

けれど日本にいてそれに気づかなければ、ずっと苦しい思い込みの中で生き続けてしまうこともある。誰かの期待に応えようとして苦しむなんてもったいない。

特に今のわたしが思うのは「日本の女性たち、がんばりすぎ。もっと楽していいよ~」ということ。誰かが決めた理想にあてはまらなくていい(それがたとえあなたの彼氏でも!)怠けものでもいいし太っててもいいし、ネガティブでもいい。本当は自分はどうなりたいか?を自分で考えて、そこに一歩一歩進んでいけばいいと思う。

***

 

熱くなってしまいました。

 

恋愛における日本人男性とカナダ人男性の違い③

「女性に理想像を強要しないこと」。

 

でも結論、日本人カナダ人にかかわらず

「人に理想を押し付けない」。

これがいちばん大事。

 

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