恋愛における日本人男性とカナダ人男性の違い②
わたしが思う、お付き合いするうえでの日本人男性とカナダ人男性の違い。
今日は3つのうちの2つ目について書いてみよう。
2つ目は、「カップルはセット」という考え方。
付き合いだしてわりとすぐに、彼はあらゆる場所へわたしを連れて行き、彼の同僚や友人たちにわたしを紹介してくれた。
それは友人宅のホームパーティであったり、彼の働く会社が主催しているクリスマスパーティであったり、様々だけれど、とにかく色々連れていかれる。
そしてもちろん「彼女は僕の恋人です(妻です)」とそこで会う人皆に紹介してくれる。
最初は彼がただ単に連れていきたがるタイプの男性なのかもしれない、と思っていた。けれど実際にそういう集まりに行ってみて感じることは、そもそもあらゆる場面において「カップルはセット」という考え方がこの国にはあるのかもしれない、ということだった。彼もわたしをパートナーとして紹介するけれど、反対にいろんな人から彼らのパートナーを紹介される機会も多く、それがきっかけで人脈が広がる。
彼には彼の所属するコミュニティ(家族、職場、友人等)があり、そこに自分のパートナーを連れていくことはごく当たり前のことのようだ。
実際、先日仕事で結婚式の会場におもむいた際も、参列するゲストはとにかくカップル、カップル、カップル・・・。独身か、なんらかの事情で相手が来れない場合を除いてはみなカップルで来ていた印象。
お相手がいる場合、「結婚式はカップルで参加」が一般的の様子。そのため全員が新郎新婦と知り合いなわけではなく、「結婚おめでとう!I'm 〇〇. Glad to see you.」とお互いを紹介しあう場面を何度か見た。
一方日本では結婚している場合を除き、基本的にお互いのコミュニティにわざわざ顔を出すという機会が少ないように感じる。特に男性の職場の飲み会にその彼女が毎回参加する、という光景はまれである。自分の所属するコミュニティにパートナーの存在を知られること自体を嫌う人もいる。2人でいるときと外での自分は別もの、みたいなところがちょっとあるのかな。
ロキオはいつもわたしを連れていくので、もはや彼の友人=わたしの友人だし、職場の人もわりとみんな知っている。
「カップルはセット」。
彼がわたしをいろんな場所へ連れていき、紹介してくれることのメリット。
その1つは人との繫がりが増えること。新しい出会いによって自分の可能性が広がること。
自分一人で行動している時には会えなかったであろう分野の人たちとの繋がりが、彼と行った先でできたりするのだ。そういう人たちの話を聞くと、世の中いろんな人がいるもんだ、と勉強になる。
わたしはいろんな人たちと繋がりを持つことに喜びを感じる人間なので、こういう機会が増えるのはほんとうにありがたいのだ。
もう1つのいい点は、パートナーののいろいろな顔を知れること。
家にいる時のロキオは氷の上に寝そべるアザラシのようにだらーんとしていたり、猫(にしてはでかい)のようにミャーンと甘えてみたり、それはそれで素の彼なので面白いんだけれど、やはり外に出た時は違う顔をどんどん見せてくれる。それを見るのがわたしは楽しい。
例えば、結婚したての頃よく「仕事を辞めて彼女と日本へ行くのは大きな決断だったと思うけど、なにが決め手だったの?」という趣旨の質問をよくされていて、その彼の回答を隣で聞くのが面白かったりした。彼は変に照れ屋なところがあるので、そういうことをわたしに直接は言わない。結婚して2年半。未だに彼の答えに「そんなこと考えてたの?!」と思うことは多々ある。
他にも、深い話になった時に彼の人生観や密かに抱いている野望の話を聞けたり、誰かの意見に対する彼のコメントで彼のことをいっそう知るきっかけになったり。
他の人との関わり合いの中で見える彼の性格や思考を知るのが楽しかったりする。
あともう1つ付け加えるのなら、
パートナーは自分の一部である、という感覚が養われることだろうか。共通のコミュニティが増えるということは、2人で共有できることが増えるということ。2人でする経験、過ごす時間が増えるということ。わたしたちは個人として尊重させるべき存在だけれど、同時にお互いの一部でもある。その意識が、少なくともわたしは強まったように感じる。
補足(もちろん、互いのコミュニティは別!と割り切った方が互いにとってプラスなのであれば、そうすべき。わたしとロキオの場合、お互い人と繋がるのが好きで、定期的に新しい出会いを経験してそれを夫婦間でシェアすることが喜びだと分かっているからこうしてうまく回っている。自分たちに合うスタイルを自分たちで築いていってほしい。)
日本人男性とカナダ人男性の違い2つ目。
「カップルはセット」という考え方。