ゆかばん脳内散歩

カナダ暮らし写真家の日常と思考録。

恋愛における日本人男性とカナダ人男性の違い①

よく聞かれる質問の中で、

「お付き合いするうえで、日本人男性と外国人(カナダ人)男性は何が違いますか?」

というものがある。今日から3回にわたってこの質問に答えていこうと思う。

 

 

はじめに断っておくが、日本人だからこう、外国人だからこう!という絶対的なものはないという前提で話を進める。

日本人で女性をエスコートするのが得意な人はたくさんいるし、北米人でもシャイで無口な人はいる。

カナダ人だからこう、もない。

そもそもこの多民族国家において「カナダ人って何?」ということなのだ。人種的なバックグラウンドや家庭環境、その人の性格など、様々な要因によって「カナダ人」の定義も大いに変わってくる。

トロントに関して言うと、そもそもみんな自分が何者なのかを人種やジェンダー等で無理やり決定づけようという態度がない。みんな「僕は僕、わたしはわたし」。

そこがこの街のいいところでもある。

 

 

 ただ、傾向や文化的な違いは確かにある。

今回はロキオと付き合いだしてから気づいた日本人男性との違いの中でも、わたしが現在進行形でポジティブにとらえている3点の違いとその理由について紹介したい。

今日はそのうちの1つを書いてみようと思う。

 

 

 

それは、愛情表現がとにかく豊かであること。

 

これは洋画を見れば察しがつくだろうか。

喜怒哀楽どんな感情にしても、こちらの人たちは日本人に比べてかなり「出す」文化だなあという印象だが、「愛情」に関してはさらにそれを感じる。

それは恋人に限らず、家族や友人に対しても。

その文化に輪をかけてロキオは子どものように毎日欠かさず愛情表現をしてくれるので、付き合い当初は正直多少戸惑ったものの、今はこちらの方が自分に合うなと感じている。

 

具体的にどんな愛情表現かというと、例えばわたしと彼の場合、1日最低でも20回は「I love you」と言われる。

1日の中で一緒にいる時間がたとえ3~4時間であっても。

街を歩いているとカップルなら手をつないだり腕を組んだり、キスでさえ普通の光景だ。南米のいくつかの国やイタリアなど、あいさつ代わりにほっぺにキスする人たちもちらほらみかける。

ロキオと歩いている時も、彼の感情が溢れたタイミングでなのか、頭やほっぺに軽いキスをされたり、電車やバスを待っている時にハグ&すりすり(ひげでちょっと痛い)をされたりする。

 

この文化における愛情表現は「見せつけるため」にするものではなくて、ただ相手を愛おしいと感じる瞬間にそれを表現する、シンプルにただそれだけ、という印象。

対しわたしが日本にいて感じるのは、カップルへの目線がやや冷たくて嘲笑的だなということ。色恋や性のにおいを少しでも感じさせるものははしたないというような。

奥ゆかしさを美とする独特の文化故、というところもあるから、もちろんどちらが良い悪いの話ではないんだけれど。

 

ただ、カナダ人と結婚する日本人女性が多い理由、そして彼女たちが生きいきする理由はここもあるのかな、と思っている。

愛情をコンスタントに伝えられると、女性は「自分は愛される価値のある女なんだ」と信じられるようになる。母性がはたらいて「彼のために何ができるかな?」と考える余裕ができる。結果、彼からもっと愛情をもらえる、といういいサイクルが生まれる。

旦那が帰ってきて「今日の飯は?」と突然言われるより「今日も愛してるよ」と言われる方が女性は嬉しいのだ。お花と一緒で、綺麗な水を毎日与えれば女性ははりきる。美しく咲こうと努める。ある意味単純なのだろうか。

わたし自身、愛情表現を毎日してもらえることで「愛されている」という安心感が生まれ、その前提が常にあるので、仕事や自分のやりたいことなど他のことに全力投球できるようになった、プラス夫への感謝の気持ちが増幅し、それを彼に還元したいと思うようになった。

 

 

そしてもう一つ思うのが、公の場とプライベートの空間との線引きが日本ほど明確でないので(どこにいても愛情表現が許される環境にいるので)、精神的に安定する。

 

例えば日本で夫の会社の同僚との飲み会に参加したとする。ほんとうは2人でいる時のように腕を組んだり寄り掛かったりしたい。でも同僚たちの前でべたべたするのは失礼だから、その場はやりすごして我慢する。

夜12時やっと2次会も終わって帰宅。

 

女(やった!やっと彼とラブラブできる!)

 「やっと〇〇くんと2人きりになれた♡(構って感全開で寄っていく)」

男「ごめん、疲れた。もう寝るわ」

女「(ガーーーーーーン)なにそれ!怒」

 

こういうのって、日本では無数にあると思う。経験ある人多いんじゃないかな。

 

こういうことが、あまりわたしと彼の間では起きない。周りの友人カップルたちをみてもそうだが、基本的に誰といようと愛情表現はする。パーティでは隣の席に座るし、男性が腰に手を回したり女性が男性に寄り掛かったりするのはもはや普通である。

わたしはおっちょこちょいなので、そういう場で何かやらかすこともあるけれど、そういう時も「おい、もうちゃんとしてくれよ!」とはならない。

「もう、ほんとにおばかさんだね。チュッ(頭にキス)」こうなる。

 

なので、欲求不満でウキャー!となることはほぼない。友人がしているのをみてもただほっこりするだけ。

こういう風に「自分たちの自然な状態」を周りも承認し、わたしたちも周りのその状態を承認するというのがわたしは個人的にとても合っているように思う。

こういう状態が常に続いていると、わざわざ彼との刺激的なイベントを用意しなくても「自分は愛されている」という実感をいつも保っていられるのだ。

 

 

 

結論。

大きな違いの1つは、愛情表現の仕方、頻度、度合い。

わたしの思ういい点は、愛されているという安心感を得られたり、彼への自然な感謝の気持ちが湧いてきたりすること。そして恋愛が安定すると相乗効果で仕事やキャリアなど別の場面でもモチベーションを保てること。

そしてわたしにとって愛情表現をすることは「自然といつもしていたいこと」なので、それを周りがよしとしてくれる環境はとても居心地がいい、というより、より自分が素でいられるので単純に楽しい。

 

 

 

次回パート2もお楽しみに。

 

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